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越後湯沢温泉の由来

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越後湯沢温泉の湯元創始の年代は定かではないが、享和3年(1801年)に編さんされた『新編会津風土記』に湯沢の湯元が記載されている。承保3年(1076年)に、現在の堀切部落が内戸山くずれにより堰止められ、神立部落まで水が貯まり、池となった当時には温泉があったとされている。明治の頃は3軒の宿屋、木賃宿があった。

昭和6年(1931年)に上越線が開通、同年12月に現在の湯沢温泉の中心地・西山に温泉の掘削を始めた。翌7年(1932年)7月9日、温度71度、1分間に270リットルの自噴する温泉を掘り当てた。その後、次々と温泉掘削に大きな成果を上げ、現在の湯沢温泉の基礎ができた。また、昭和6年、上越線開通記念の長岡博覧会開催時に多数のお客を呼び寄せたことで、現在のような大規模な旅館・ホテルが建ち並ぶこととなり、近代的なリゾート地としての最初の基礎ができた。

なによりも湯沢温泉を全国的に有名にしたのが、ノーベル賞作家川端康成の名作『雪国』である。氏は発表の前年頃から来遊し、「雪国」を執筆。その年36歳。今まさに文壇に躍り出ようという血気盛んな壮年だった氏は、昭和10年(1935年)、「雪国」を文芸春秋に発表した。その後、何度か映画化され、小説の冒頭のフレーズ「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」とともに、湯沢は有名になっていった。執筆された部屋「かすみの間」は、現在も『雪国のお宿高半ホテル』の中に保存されており、一般の方の見学も可能である。

豊富な温泉とスキーのメッカとして観光客に親しまれて来た湯沢温泉も、上越新幹線工事が昭和47年(1972年)に着工されると、半年後には温泉の湧出量が3分の1に減少し、源泉井も数本は自噴しなくなるという一大異変が生じた。このような事態をきっかけに、永年の念願だった温泉集中管理事業を推し進める気運が高まり、昭和50年(1975年)6月24日、総事業費5億2187万円をかけた工事に着工。昭和50年12月15日に完成した。そのおかげで、現在では湯量も安定し、一般家庭にまで配湯できるようになりました。

湯沢温泉は、弱アルカリ性の単純泉で、筋肉痛・神経痛・疲労回復などに効果があるといわれる。現在は、15軒の温泉旅館・ホテルが温泉街を形成し、年間120万人ほどの温泉観光客が訪れている。 近年は、外湯めぐり構想のもと、数ケ所の温泉公衆浴場や民間入浴施設が整備され、家族連れやスキー客などでにぎわっている。

泉質・効能・禁止事項

泉質

ナトリウム・カルシウム-塩化物温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)成分の詳細はこちらをご覧ください

温泉温度

57.3度 pH 8.0

効能

筋肉痛・神経痛・五十肩・運動麻痺・うちみ・くじき・関節のこわばり・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進

ご注意

  • 入浴中は安静を守り、入浴後は一定時間の休憩をとりましょう。
  • 入浴の効果を高めるために、身体についた温泉の成分を水で洗い流さないようにしましょう。(湯ただれを起こしやすい方は除く)
  • 飲酒しての入浴には特に注意しましょう。

禁止事項

このような症状のある方は入浴できません。
急性疾患(特に熱のある場合)・活動性の結核・悪性腫瘍・重い心臓病・呼吸不全・腎不全・出血性疾患・高度の貧血・その他一般に病勢進行中の疾患

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